1日1冊レビューし太郎

おススメの本ご紹介します。本の紹介を通して、自分の人生観や経験などをお話しします。日本の大学を卒業後、ALLEX Programに参加するために渡米。Missouri州のWashington大学、NY州のUnion大学、そしてHarvard大学で日本語教員として働きました。このブログでは、おススメの本の紹介を通して、自分の人生観や経験を語りたいです。あなたの悩みを解決させてください!いつでも相談に乗ります(^O^)

はじめて考えるときのように(野矢茂樹)

この本はボストンに住んでいた時の仲のいい友人がおすすめしてくれた本です。友達が紹介してくれた本って何だかいいですよね。

 

まず、この本のタイトル、素敵じゃないですか?哲学的というか、読者に続きを想像させるような。この本では、なぞなぞを解くことや何気なく眺めている夜空の星など、身近な例を数多く挙げて、「考える」ということの本質に迫ります。

 

では、「考える」「論理的に考える」の違いって何でしょうか。この本では「論理的に考える」ということは、実はできないことを証明しています。また、人は1日に6万回思考しているアメリカの心理学の研究で言われていますが、驚くことにその8割がネガティブな思考になっているそうなんです。人間の大きな特徴である「考えること」の本質を紐解いてくれる1冊となっています。

 

 

まず普通に生活していたら、あれこれ考えなくちゃいけないですよね。でも、うまく考えられないこともしばしば。だいたい、考えることって何なんでしょうか。よくわからなくなったことはありませんか?

 

「考えることを考える?」、もし自分の子どもに「考えるって、どうすること?」と聞かれたら、あなただったらどう答えますか?「スキップするって、どういうこと?」って聞かれたら、実際にやって見せてあげられますが、「考えて見せてあげる」ことは厳しいですよね・・・。さあ、頭の中をかき混ぜていきましょう!笑

 

①考えるということは、実は頭とか脳でやることじゃない。手で考えたり、紙の上で考えたり、冷蔵庫の中身を手に持って考えたりする。

みなさんはこれについて、どう思いますか?僕は「考える」行為は脳や頭の中で行われているんだと、なんとなくそう感じていました。著者によると、「考える」という行為は心の状態や心の働きではないし、頭の中で「思考」という作業をしているわけではないということなんです。納得できますか?僕はこの時点では、まだう~~んでした。

 

まず、考えるためには「問題」が不可欠だというのです。「問題」なきところに「考える」なしといったところでしょうか。そして、考えている人は、抱えている問題に何かしらの結びつきや答えのようなものを求めて、耳を澄ましている。

 

考えるということは「耳を澄ましている」ことに近いということ。僕的に解釈するとしたら、バックグラウンドミュージックのようなものでしょうか。実際に「考える」という行為をしていないとしても、そこに「問題」が存在するのであれば、それは「考えている」ということなんです。???

 

みなさんもきっと経験したことがあると思います。何も考えていない時でも、不意に思い出して答えが見つかること。だからこそ、「風を感じる」というか、「耳を澄ましている」と一般的な「考える」は同義だといえる。

 

正直、この本をもう一度読み返したとすると、違う解釈になるかもしれません。哲学的な概念って一筋縄じゃいきませんね。「考える」という言葉の意味を、「自分の言葉」で上手く説明できないのに、他人には「よく考えて」とか「ちょっと考えてみて」と使うこともしばしば。。これからはお互い、よく「考えて」から「考える」という言葉を使いましょうね。笑

②いろんな知識を持つから問題は生じる。学べば学ぶほどより鋭く深く問えるようになる。

例えば、無知や無秩序から問題が生じるわけではないという主張があります。何も知らない、何も秩序がないところに「問題」は生まれようもなくて、様々な知識を持つからこそ、問題は生じるという意味だと思います。つまり、無知や無秩序において、「考える」という行為は発生しえないということです。

③論理は考えないためにある。

さあ、哲学チックになってきましたね。よく「論理的に考える」と言われますが、それは本当に可能なんでしょうか。

 

例えば、「木曜日の次の日は何曜日か」という問いがあります。誰だって間髪入れずに「金曜日」と答えますよね。この答えは非常に「論理的」で、この問題を答えるために「考える」必要なんて一切ありません。

 

では、「今日は木曜日で、100日後は何曜日?」という問いにはどうでしょう。7日ごとに木曜日が繰り返されるから、10回繰り返して70回。7×4=28で、98日目が木曜日。あとは99日目は金曜日、100日目は土曜日、と答えを導きだせますね。これも「論理的」ですけど、果たして「考えている」のでしょうか。

 

ルールに沿って答えを導きだしてはいるけど、それって「考えること」なのか・・・。「計算する」ことと「考える」ことってやっぱり違いますよね。つまり、「計算する」ことは「論理の道筋をたどること」で、「考える」こととは違う。じゃあ、「論理的に考えよう」って何?さあ、頭が痛くなってきましたね。笑

 

二つの前提から結論を導く「三段論法」の例も見てみましょう。次に言うことは論理的に正しいのでしょうか。

魚は水中を泳ぐ。(前提①)

イワシは水中を泳ぐ。(前提②)

だから、イワシは魚だ。(結論)

 

答えはNO。もしこの推論が正しいのであれば、イワシのところをラッコに変えても成り立つはずですよね。イワシをラッコに変えたとしたら、

魚は水中を泳ぐ。(前提①)

ラッコは水中を泳ぐ。(前提②)

だから、ラッコは魚だ。(結論)???

 

これはラッコにとってあんまりですよね。笑 前提と結論がそれぞれあっているとしても、論理的に正しいかどうかは別物。前提と結論それ自体の正しさは論理の正しさとは別。これに関してはですね、ぜひですね、著書を読んでですね、理解を深めていただければと・・・。(哲学を言葉にするのってほんとに体力使う。。)

 

この本は堅苦しい哲学的なテーマにもかかわらず、絵本や詩のような優しい体裁で書かれており、読んでいると何だか懐かしい気持ちになります。そして、何だか心躍るというか読み進めているとワクワク、高揚感を感じるんです。非常に不思議な感覚でした。個人的にこの著者のように物書きができたらいいな、と感じました。読んでいただければわかるかと思いますが、言葉選びや言い回しに何だか”味がある”んです。